初夏、フィリピン留学から帰り、僕は京都の高級旅館で働いていました。
そこで一風変わった経験をしました。その経験を綴ります。
目次
なぜ京都でリゾバをしようと思ったのか
①ワーホリ費用100万円
銀行員時代の貯金をフィリピン留学とその後のインドネシア旅でほぼ使い切ってしまった僕。ワーホリ前の貯金額をいろんなサイトやyoutubeで調べた結果、だいたいみなさん100万円を目安にしていました。しかし、僕の場合は語学学校も行かないし、海外保険も現地のものにする予定だったので、80万円をひとまずの目標にしました。
最短でその資金を貯める方法を考えた末、生活費がかからない住み込みのリゾバに行き着いた訳です。僕が働いていた旅館は家賃、光熱費、食費、なんとすべて無料でした。
②英語を使う機会の多さ
どうせ働くなら 英語力を落とさないようにしたかったので、派遣会社の方にお仕事を紹介してもらう際に『英語を使う機会の多さ』を必須にしていました。すると、京都は必然、北海道のニセコや洞爺湖、箱根、日光、長野の白馬、瀬戸内海の島(瀬戸内国際芸術祭の影響ですね)などをおすすめされました。
広島の宮島、香川の直島を応募しようとしましたが、残念ながらその仕事に近い経験が必須ということで、消去法で京都のとある旅館になりました。
僕が働いていた旅館は外国人の宿泊客が6割ほどでした。その中で英語圏の方は2~3割ほどの印象ですが、英語圏ではない方とも英語で会話します。国別の英語のクセや教育レベルがうかがえて興味深かったです。意外にもフランスは日本と同じくらい英語を話せる人が少ないんだとか。オランダ人はめちゃくちゃ英語が上手!
③ホスピタリティ職の経験
ワーホリではカフェやホテルなど、ホスピタリティ系の仕事に就こうと考えています。そして、海外の仕事探しでは経験がものを言うという情報を真に受け、、、旅館に応募しました。実際、日本の「おもてなし」とはどんなものかにも興味がありました。もう一つ、中学生の頃に「花咲くいろは」という旅館をテーマにしたアニメを見て一度旅館で働いてみたいと思っていたというのもあります。
具体的な仕事内容

もちろん、通訳は旅館の仕事の一部でした。求人票に書かれていた「宿泊業務全般」をしていました。
・お客さんの出迎えと案内
・お客さんの荷物運び
・食べ終わった皿の後片付け
・風呂掃除
・懐石料理の準備
・ドリンクと料理の提供 などなどです。
お客さんが夕食会場でご飯を食べている時、花街から舞妓さんを呼び(雇い)、お客さんの話し相手をしてもらい、伝統舞踊を披露してもらうというのが毎晩の恒例でした。
そこで、会社(旅館)の社長に、外国人のお客さんと舞妓さんの通訳をするよう頼まれました。舞妓さんはまだ10代の子が多く、英語はあまりできません。社長は僕が英語を勉強していることを知っていて、気を遣ってくれたんですね。

初めて通訳したお客さん
仕事として英語を使うのは初めての経験でした。丁寧な英語を意識してかなり緊張していました。
初めて通訳をしたお客さんをよく覚えています。
知的な台湾人の母と娘の親子連れでした。中学生と思われる娘さんの英語もお母さんと同じように上手で、聞いてみると中国ではかなり小さいときから英語教育をしているのだとか(地域差は大きいと思いますが)。
舞妓さんがする雑談の内容はだいたい決まっていて、「どこから来たのか」、「日本は初めてか」、「明日はどこへ行くのか」など簡単なもので、そこから話を軽く広げていきます。
初めて会う外国の人と雑談をして楽しませるというのはかなり難しいと思いますが、どんな会話でもお客さんは喜んでくれます。というのも、舞妓さんの白い化粧と着物、15~20歳という若さから、座っているだけでどんなお客さんもうっとりするからです。
それを横目に、僕の脳内のプロセッサーは悲鳴を上げるほどフル稼働していました。
僕は英文和訳と和文英訳をするという経験はありませんでした。長い英語勉強の末、僕は英語を読み聞きするときは、英語をそのまま英語で理解できるようになりました。話すときも徐々に日本語から訳さず言えるようになってきています。そんな頭で、舞妓さん達の会話の流れを止めないスピードで英語と日本語のスイッチを切り替える作業はかなり頭を使う作業でした。
それに、ただ逐語訳するのではなく、気持ちや文脈を正しく伝える必要があります。日本人同士であれば同じ文化背景を共有しているため理解できることであっても、外国人相手ではうまくいかないこともあります。それをどこまで説明する必要があるか、そもそも相手(外国人)の当たり前が何なのか分からない、といった問題も出てきます。
正確に気持ちも伝えるのは僕には無理です。なんとか、声のトーンで表現していました。
でも、嬉しいことにその台湾人のお母さんが僕の英語をとても褒めてくれました。
「日本に着いてから、日本人みんな英語を理解してくれないから、やっと話せる人がいて嬉しい。君の英語は素晴らしい!」
初めてにしてこれを言われたのは、本当に嬉しかったです。
ここで、有頂天になった僕はしゃしゃりでます。
「実は通訳をするのはこれが初めてで、通訳の難しさに今びっくりしてるんですよ~」
「先月までフィリピンに留学に行ってて~」
「お客さんこそどうやって英語学んだんですか?」
お客さんもノリノリで話が弾みます。その間、舞妓さんは隣でぼーっと僕たちを眺めていました。それに気づき慌てて、不自然に舞妓さんに話を振ります。舞妓さんは、分かりやすく気を遣った僕に優しい笑顔を向けてくれました。
……通訳って難しい!
最後に舞妓さんの背筋のピシッとした座りお辞儀をして次のテーブルに移ります。これを1時間ほど続けた後、舞妓さんがステージで京舞を披露するのです。
京舞が終わり、舞妓さんは花街に帰り、僕がお皿の片付けをしていた時、あの台湾人の女の子に話しかけられました。舞妓さんの名前の書き方が知りたいらしく、教えてあげると何やら紙にその名前を書き、書いた紙を渡してきました。そこには、その舞妓さんのスケッチ(似顔絵というには上手すぎる)が描かれていました。

(娘)「これ、さっきの舞妓さんに渡してもらえますか?」
(僕)「Of course! She’ll be……fun!!!」
(母)「”happy”, right?」
と最後の最後で訂正されました。happyが出てこなかったのは悔しい。
やらかした通訳エピソード
①「舞妓さんの仕事で一番やりがいのある瞬間は?」

この質問はアメリカ人のお客さんからの質問です。
(舞妓)「年数回ある芸の発表会でうまくできてみんなに褒められた時です」
僕はそれを通訳しました。事件はその後です。
お客さんがなるほどと相づちを打った後、一瞬間が空き、気まずい瞬間が流れかけようとしていました。すかさず僕は舞妓さんに「他にどんな時がありますか?」とおい質問をし、5秒ほど考える舞妓さん。僕は少し前に舞妓さんが日本人のお客さんからこっそりご祝儀(おひねり)をもらっていたのを思い出し、
(僕)「おひねりもらう時とかうれしいですよね?」 と意味の分からない確認。
(舞妓)「ええ、まあ」 と困り顔。
(僕)「She feels happy when she gets tip from guests!!」
(客)「(゚ε゚ )ブフッ!!」
『チップ上げろってか!?笑』お客さんはこう言いたかったに違いありません。
なぜ僕は言う必要もないことを言ってしまったのか。日本語だけで話していたらそんなことを言うはずがありません。おそらく、英語と日本語のスイッチを切り替えることに必死で、話の流れや相手がどう受け取るかを考える頭がなくなっていたのだと思います。
でも、かなり笑いがとれたのでよしとします。
②「自己紹介しないのは失礼だよ」
それは、オランダ人の年配のお客さんの席に付いた時です。最初の挨拶は舞妓さんからすべき、僕は出るべきでないという考えのもと、隣でスタンバっていました。何も話さない僕を見た舞妓さんが切り出します。
(舞妓)「どこから来はったんですか?」
(僕)「Where are you from?」
すると、お客さんは僕に耳打ちで
(客)「あのね。覚えておいて。最初に自己紹介せずに出身を聞くのは失礼だよ」

この瞬間、僕の笑顔は颯爽と姿を消しました。この白熊のように。
すかさず謝ると、お客さんは舞妓さんの目をしっかり見て、自己紹介をし始めました。出身地ではなく名前を名乗るお客さんに対し、舞妓さんも察したのか慌てたように自己紹介をします。そして僕も後に続きます。
この事があってから、必ず一番最初に僕が舞妓さんの名前の紹介をするようにしました。
オーストラリアから来たゲイ2人組

ある日、すっっっごい楽しそうな男性2人組が宿泊してきました。
仕草からすぐゲイのカップルと分かりました。一人はヨーロッパ系、もう一人は見た目からしてフィリピン人でした。フィリピン留学中にもゲイの人は何人か知り合ってきたので、僕は彼らに特に反応することもなく、フィリピン恋しいなーとか考えていました。
そして、通訳として舞妓さんとともに軽く雑談し、僕の顔も覚えてもらいました。
夕食が終わり、僕のシフトも終わり、毎日無料で入れる旅館の大浴場で服を脱いでいる時でした。
「Hello, again!」 さっきの二人組が入ってきました。僕は従業員なのにお客さんが入浴する時間と重なって申し訳なかったので、
「お邪魔だったら申し訳ない」 と言いました。
これを「二人の時間を邪魔して申し訳ない」と捉えてしまったかどうかは分かりませんが、ヨーロッパ系の方の男性が僕の肩をポンポンと叩き、
「大丈夫だよ、ありがとう」と言ってくれました。
三人とも湯船に使っているとき、少しの勇気を振り絞り、二人に話かけました。
(フィリピン留学のことを話題に出せば多少盛り上がるに違いない!)
案の上多少盛り上がりました。
どうやら二人とも母国を離れて今はオーストラリアのメルボルンで医療関係の仕事をしているとのこと。そこで、僕はワーホリ先の国をカナダかオーストラリアかニュージーランドで迷っていることを話しました。すると、
(ゲイ)「オーストラリア来なよ!メルボルン来たら案内してあげるよ!」
(僕)「マジで!?」
(ゲイ)「うん、いっぱいゲイバーに連れて行ってあげるよ!」
(僕)「(゚ε゚ )ブフッ!!」
通訳の時含め、それまでゲイの話題に触れてこなかったので、明るい口調で突然こんなことを言われて吹いてしまいました。
『やっぱりこの人達、人生楽しそうだなあ~~』と心底思いました。
その場で、そんなきっかけで、僕はワーホリに行く国と都市を決定しました。
これも何かのご縁。いや正直、『ゲイバーとか未知の領域!飛び込んでみよう!』と、思いました。
20分ほど雑談をし、お風呂上がりにインスタを交換し、翌朝あっっっついハグを一方的にされ、帰りました。京都でのリゾバが終わった後も連絡を取り合っています。本当に思いがけない良い出会いでした。多分、割と長めの付き合いになるでしょう。
英語力の伸び
京都での数ヶ月間で、英語力の伸び率はフィリピン留学の3ヶ月間と同じくらいだったように感じます。特に話すスピードが上がりました。おそらく、『仕事』として英語を使うというのは、責任感の強い僕にとっては最高の環境だったんだと思います。「ホテル 英会話フレーズ」なんてのも調べて一通り覚えました。
また、食費無料で住み込みで働いていたため好きに使える時間がたんまりありました。仕事のある日でも食事や洗濯、お風呂を除いて5~6時間です。その時間はNetflixで英語のドラマを見たり、英語で毎日日記を書いたり、ネイティブの友達と電話したりしていました。
ちょっと格好つけて書きましたが、これらが『努力』だという認識はありません。とにかく僕は英会話が好きなんです。外国人と話すのってすごい楽しいんです。とにかく非日常。外国人は目をちゃんと見て話すので、大きくきれいな青い瞳に見とれてしまいます。リアクションも大きく、こちらとしては気持ちよく話ができます。そして、仲良くなると、文化や価値観の差がよく分かる話になっていきます。
本当に、知らない事を知るというのは楽しい。
京都の旅館で働いてみて
久しぶりの社会貢献、肉体労働、縦社会。良くも悪くもいい経験になりました。
仕事場にはクセの強い人が多く、うまく付き合っていくのにコツが要りましたが、それは銀行員時代に嫌というほど学んだのですぐ慣れました。ただ1人、挨拶を返さない社員さんとは必要最小限のコミュニケーションしかしませんでした。その人を反面教師として、社会人として挨拶が一番大事という基本に立ち返ることができました。それに引き換え、白人系と黒人系のお客さんはすれ違う度にニコッとしてくれます。
大学生のバイトが多くいましたが、仕事に対する意識が自分とかけ離れていて、常にサボることしか頭にないようでした。イライラしないよう自分を律するのに苦労しました。京都市内の図書館で「怒らないこと」という仏教関連の本を買ったくらいです。おかげで精神面も成長できました。
日本のおもてなし文化のすごさについて。
嬉しかったのは、外国人宿泊客のほとんどが日本の文化を理解して来ているということ。ぎこちないお辞儀と片言の「ありがとうございます」、ロビーで声を抑えて話している姿には胸が熱くなります。日本へのリスペクトを感じますし、僕も日本の文化に誇りを感じます。
結論、京都の旅館はリゾバ先として良い選択でした。
みなさんもワーホリ費用を貯めるときはぜひチャレンジしてみてください。

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